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透明な翼と赤い流れ
 はじめは何てことないと思っていた。無機質な敷地に毎日決まった時間いて、日々誰かの声が絶え間なく耳に入り、時にそれを別世界のように感じながら、ここにいる残り僅かな時間を数える。まだ心が幼かった私はそれを機械的に繰り返し、感情らしい感情もなく暇を弄んでいた。
その帰り道、いつも決まって私の前を歩いて帰る人がいた。名前も知らなければ顔も見た事がないその女の子は、真っ黒なランドセルを背負いワインレッドで統一された服を纏い、肩より少し下にまで伸びた髪を小学校の帽子であろうベレー帽の下から覗かせ、いつも楽しそうな足取りで歩いていた。そんな彼女を私はいつしか気にするようになり、心の中で「ベレーちゃん」と勝手に愛称をつけた。

 ある日、都合で早く家路につくことになり、私はまだ明るい外を久しぶりに歩きながら帰ることになった。いつもとは異なる人々が道を歩き、私は何のためらいもなくその雑踏に紛れた。
久しぶりにどこか寄り道して帰ろうか。そこまで考えた時、後ろから声がかかった。
「お姉ちゃん」
その声が頭にぶつかり、ふいに私は振り返った。
私を呼び止めたのは、ベレー帽を被り黒いランドセルを背負ったあのベレーちゃんだった。大きく見開いた目は私を確かに捉え、決して興味本位で呼び止めたのではないことを私に教えている。
「…なに?」
子供が好きとは決して言えなかったが、できる限りの優しげな声で問い返す。それを知っていたような様子のベレーちゃんは、はっきりと、だけど決して相手に邪魔にならない声で言った。
「寄り道して帰っちゃだめだよ」
そう言ってにっこりと満面の笑みを浮かべると、ベレーちゃんは私の横をすりぬけて歩き去ってしまった。私はベレーちゃんの言った意味がわからず、しばらくその場に立って考え込んでしまった。なぜ私が寄り道して帰ろうと思っていたのが分かったのだろう。疑問はその一点に絞られ、寄り道する習慣のない私はその日体の覚えるまま真っ直ぐに家路についてしまった。

 風呂に入り軽く頭もすっきりし、彼女の言葉を忘れかけた頃、私はテレビをつけて番組の後のニュースを見始めた。長風呂でみたかった番組を見そびれて軽く舌打ちをしていると、ふいに知っている場所が私の目を捉え、私は驚きを隠せなかった。
「…今日の正午、大規模な火災が粽ビルで発生し、死者負傷者合わせて約二五三名の事故が起きました。消防署は火元を地下レストランの厨房からだと特定し、原因の究明を急いでおります…」
そのビルはデパートになっていて、今日私が寄り道しようと考えていた場所そのものだった。火元となったレストランに行く予定ではなかったものの、変わり果てたビルの風景を見て愕然とした。
ふと、あのベレーちゃんの言った言葉が再び頭をよぎり、私はようやく彼女の言葉の意味を理解した。ベレーちゃんは私がデパートに寄り道することを知っていて、今日まさにこの事件が起きることも知っていたのだ。そして私がそれに巻き込まれないよう、警告していたのだろう。

 それ以来、ベレーちゃんの姿を見ることはなくなった。定時になっても、早くても遅くてもその姿を見かけなくなってしまった。
その姿を二度と見ることがなく寂しいけれど、ベレーちゃんがいなければ、私は今頃炎に焼かれ死んでいただろう。彼女が何者で何故いつも私の前を歩いていて、何故危機を救ってくれたのか、今でも分からない。


 私の日常は、それから少し変わった様な気がする。